http://www.youtube.com/watch?v=TiKiS1D3DII&NR=1



「常識の世界で起こる非常識な出来事じゃなくて、非常識な世界の常識を描いていく」
という下りがなるほどなあ、と。


ドランクドラゴンのコントがあまり好きじゃないのは、彼らは常識の世界で起こる非常識を描いているからなのかも。
ドラドラのコントは塚地が演じる奇抜な(気持ち悪い)キャラクターの言動がウリだ。
僕は一応それを見て笑うのだけど、だけどそのキャラクターにどこか無理矢理な感じを抱く。
面白いことをやってやろう、笑わせてやろう、という意識を露骨に感じてしまう。
客を笑わせるために面白いキャラクターを作った、その軌跡が見えてしまう。
押し付けられる感じ。
塚地の演じるキャラクターは、軸足を常識の世界に置いた上で、いかにそこからはみだせるか、どれだけそこから離れられるかを試した結果作られる、という印象(軸足を残した常識瀬世界にいるのが鈴木で、そこからはみ出した側の足が塚地)。


ラーメンズはそうじゃない。
軸足そのものを非常識の世界に持っていってしまい、その非常識の中の常識を丹念に描いている、という形をとっている。
思考や言動はおかしいんだけど、その人の中では確かに一本筋が通っている様子を見ると、最初からそういう変な人物が存在しているように感じる。
そうすると、現代片桐概論という講義を教える教授や、読書対決で盛り上がる二人組、これらはコントにために作ったんじゃなくて、実際にそういう人たちがこの世界にいるような気がしてくる。
押し付けがましくなく、リアリティがある。
それは例えばチュートリアルなんかでも同じで、二人の漫才を見ていると、些細な事柄に執拗に拘ってみせる徳井の変人さはネタ上の設定なんかではなくて、本当にああいう奴なんじゃないかと思えてくる。
(二人揃って別世界に移動しているのがラーメンズ。それに対し、チュートリアルは徳井が非常識の側へ移ったものの福田が常識の側に残っている。だから、チュートリアルの漫才を見ていると二人の間には絶対に分かり合えない、どうしようもない断絶を感じる。それがまたおかしい)


いまいる世界に軸足を置いてそこから逸脱する世界を描くのではなくて、軸足ごと別の世界に移ってしまった上でその世界のことを描く。
ということなのでしょうか。
どうやればそうやって別の領域に突き抜けることが可能なんだろ。