ユーロスペース

大学時代一番仲のよかった友達と会ってきた。






お互いの近況とか、
仕事に対する現在の不安や将来に向けての希望とか、
恋愛論や結婚話とか、
そういう熱い話を、







ほとんど交わさず、
全体の三分の二は競馬とプロ野球の話で盛り上がった。
相変わらず。


















叙述トリックが好きな理由は、
小説が持つ制約を逆手にとっている様が上手いなあと思うからです。
漫画・映画と違って、
小説だと文字で全てを表さなければいけないので、
具体的な情景は文章を頼りにそれぞれの頭で想像して補わなければいけない。
それがいいところでもあるのだけれど、同時に欠点でもある。
叙述トリックはその欠点ゆえに成り立っている。
実際の光景が見せられないことを逆に利用して、
あえてとある重要な事柄を読者に見せず、
平然とした顔で物語を進め、
終盤でその部分を見せて全貌を明らかにする。
男だと思った人物が女だったり、
人間だと思ったら他の動物だったり、
時系列が全然違っていたり。
それによってそれまで頭の中で描いていた世界が一気に崩壊する。
それによって新たな世界が浮かび上がり、
それによってその小説の主題が説得力を持って伝わってくる。
この瞬間の衝撃、快感、感動。
それがたまらないのです。
何日か前に「倒錯のオブジェ」が物足りないということを書いたけど、
それは仕掛けの部分に上に書いただけのサプライズがなかったから。
ただ叙述をやりたくてやってるだけで、
その叙述が持つ物語上の意味があまりなかったように感じたから。
「葉桜の季節に君を想うということ」はこの要素が完璧に詰まっていた。
こないだ読んだ「イニシエーション・ラブ」も同様に。