「悪人」 吉田修一

画像を挿入しようとしたんだけど、エラー発生とかなんとか言いやがって表示ができなかった。
E-MOBILEにしてからこの種のアクシデントばっかり……



どこかで得た情報なのか自分の思い込みなのかは定かじゃないけど、この話は「世間的には悪人だけど実際にはそうでもない人」の話なんだろうという先入観を持って読み始めた。
そしたら実際そのとおりだった。
終盤の、「でもさ、どっちも被害者にはなれんたい」という殺人犯である主人公(?)言葉で、こういう形の優しさが存在したのかと深く感じ入った。
人を殺すのは大罪だけど、彼は決して悪い人間ではなかった。
一見何を考えているかわからない人間ではあるけど、寂しさと優しさを抱えた普通の人間だ。
そんな人でも、人を殺してしまう。世間から糾弾されてしまう。ワイドショーの格好のネタとして扱われてしまう。
悪人と捉えられてしまう。
読み終えた後、装丁の「悪人」という赤く大きい文字が、そのまま自分の頭の上にのしかかってきたような気がした。



しょせん善悪っていうのは人の本質じゃなくて行動の結果に付随する言葉なのかもしれない。



僕のツボである、地方で生きる人々の閉塞感が上手く書かれていた。
たとえば被害者である女性の描写
「保険の外交員をしながら小金を貯めて、休日にはブランドショップの鏡に映る自分を眺める。本当の自分は……、本当の自分は……、というのが口癖で、三年も働けば、思い描いていた本当の自分が、実は本当の自分じゃなかったことにやっと気づく。あとは自分の人生投げ出して、どうにか見つけ出した男に、それを丸投げ。丸投げされても男は困る。私の人生どうしてくれる?今度はそれが口癖になり、徐々につのる旦那への不満と反比例して、子供への期待だけが膨らんでいく。公園では他の母親と競い合い、いつしか仲良しグループを作っては、誰かの悪口。自分では気づいていないが、仲間だけで身を寄せ合って、気に入らない誰かの悪口を言っているその姿は、中学、高校、短大と、ずっと過ごしてきた自分の姿とまるで同じ」


30になって結婚できず妹と一緒に暮らす女性の描写
「何で泣いているのか、自分でも分らなかった。
 自分には欲しい本もCDもなかった。新年が始まったばかりなのに、行きたい所も、会いたい人もいなかった」


生活の危機を迎えているわけではないけれど、人生の彩りを見出せなくて行き詰っている様子は、行動の可能性が限定されていて、経済的に疲弊している地方によく合うなあと思う。
この小説は九州北部を舞台にしていて、実際の地名や道路が登場するので、作中人物たちの抱える葛藤にリアリティがある。



この本はYさんにいただいたもしくは借りた本なのです。
Yさんは、本当はHさんに渡すつもりだったらしいのだけど、渡す前にHさんは先に帰ってしまい代わりに僕が譲り受けた形になったので、次に会う機会には持参してHさんに渡そうと思います。